情熱家 雄真  『  一筆啓上。  』
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“ 僕が死んだあの冬の海 ” (2009/01/24)

寒風が強く耳や指やつま先が

痛痒くなるほどのある冷たい冬の日の出来事でした。

僕が、まだ蒼き高校生活をやり過ごしていました。

やり過ごすというのも

今となってはある意味で酸っぱい良きおもいでですが

あの頃の僕は餓えて人になつかない狼でした。

数年前に父と母は別れ

子供ふたりと祖母を食べさせないといけない母は

ある日突然家族には黙って単身横浜に出て行きました。

その事実は後に知った話ではありますが

母が貧しいボロ家からいなくなった日々は

やり場のない淋しさと恐怖でひたすら母を強く恨み続けました。

それから半年ぐらいの真っ暗な月日が流れ

ある荒れる海の岸壁で母が

自らいのちの灯を消そうとするその直前に保護されました。

そのときの母は苦境の末路に精神を病み

夜中にひとりで笑い出すような姿に変わり果ててしまいました。

身体と心が安定している日だけは知り合いのスナックに

手伝いに行き呑めない酒を飲み

すこしだけの現金を手に入れてくる。

僕は学校には内緒で月曜日~土曜日までの部活帰りは

ファミレスでバイトをして日曜日と祝日は大学生と偽り

工事現場で黄色いヘルメットを被って汗まみれになっていました。

教科書片手に教わる事柄よりも 生きていくためのお金の事ばかりを

お金を稼ぐことばかりを授業中も考え耽り、

日給のいいバイトがあると学校よりバイトを優先して

また遠足や文化祭の日などはバイト先の

トラックの助手席に乗り、ため息をいつもついていました。

バイトと言ってもたいした金にはならず

学費や生活費たまに買える安物の洋服代などで

すぐに消えて無くなりいつもど貧乏ど真ん中でした。

バイト先であろうが学校であろうが関係なく家からの弁当を

持っていくという家庭的な事など一切無く

昼メシ代なんてもちろんあるわけが無く

バイト先では財布を忘れたことにして時には奢ってもらい

そうでない時は工事現場からひとり昼休みだけ離れ

学校では部室に篭り 小銭がポケットにあった日は

500mlのコーヒー牛乳と大きなメロンパンひとつでした。

バイトにファミレスを選んだのも

少しは食べ物にありつけるかもとの考えた結果でした。

お客様の注文分のフライドポテトなどをわざと多めに揚げて

ポケットに入れて材料を取りにフリをして冷蔵庫の冷たい部屋で

熱いポテトを喉に詰め込んでました。

金が尽きることも多々あり

学校に行くバス代すら無くて寝ている母の財布を開き金を盗もうと

財布をそっと開けると往復のバス代すらも入ってなくて

仕方が無く虚しさの身を任せ制服を着たまま街を彷徨い

時にはバイトの給料日に買った読み終わらぬ新刊を

古本屋に悔しく持ち込んでいました。

そんなささくれた日々の僕のたのしみは部活のバスケと

たまにファミレスの料理長が食べさせてくれた試作品料理でした

今、考えるとあの料理長は僕の生活に気が付いていたのでしょう。

バイトが大勢いるのに試作品は僕にいつも食べさせてくれてました

また喧嘩で制服がボロボロに破れても

ただ笑って “なんか試作品でも作ろうかな!”

とそっぽを向いて言うだけでした。

街を歩けば親から当たり前にもらったお金で洒落た服を着て

ファーストフードなどで遊んでいる高校生の軍団を見かけると

痛たまれない羨ましさと

 “俺はお前らと違うんだ!”というキモチから

喧嘩を吹き掛けるという事も多くあり。

喧嘩の瞬間は僕が呆れるほど狂気じみているので相手はされず

後日、道端で背後から襲われて集団リンチによくあってましたね。

そんな生活も半年程経つと虚しさと疲れと

目の前の現実から逃避したい想いに押し潰されていました。

15歳で酒の味を知った自分は

酒で酔うことに救いを求めはじめていました。

バイトが終わり家に帰るまでの7キロぐらいある

自転車の帰り道の途中に酒の自販機があり

“ BOSTON CLUB ” という名の安物のウイスキーがあって

それを毎日1本、バイトの帰り道にチャリを漕ぎながら

ラッパ呑みしてフラフラになり玄関を這うように

倒れるようにして家に帰っていました。

自分がドロのように酔ってしまえば夜中に母の哀しき笑い声を

聞かなくてすむのだから都合がよかった

そして毎朝が二日酔いで始まり 夕方ぐらいに正気を取り戻す 

昼間も強度の二日酔いのため周りの状況を直視せずに済み

こんな麻痺した感覚がその時は楽でした。

部活 バイト ウイスキー 二日酔い

そんな繰り返しを3ヶ月ほど続けました。

貧しく危険な生徒なのに部活は何故かキャプテンに僕が選ばれた

ただ唯一の金のかからない楽しみと

日々の苛立ちを先輩たちにバスケのコートでぶつけていたので

確かにプレーヤーとしては腕を上げていたのかも知れません。

高1の頃からキャプテン№4の背番号には確かに執着していました

中学の時にバスケ部は入ったもののユニホーム代が払えずに

バスケ部をクビにされた経験のありました。

しかしながら

バスケを教えてくれた学校外の兄貴のような知人に恩返しをしたくて

その御礼の形を背番号4に求めていた。

3年いや中学も合わせて5年も待ち望んだ№,4のユニホームが

自宅の洗濯物干し場に干された時は泣くほど嬉しかった誇り思えた

そのささやかな喜びも束の間でした 

キャプテンであるがゆえに

日給のいいバイトに出ていた日々は無くなり生活は苦しくなった。

生意気な後輩などを部室に呼び出し・・・などとさらに荒れ狂った

そしてある時 何かの糸がぷつりと切れた。

“ もういい、もういいよ! 死のう!! ” 

頭の中がその極端な考えに洗脳されたひとり授業を抜け出し 

深い冬の防波堤で何時間も冷たく目に映る桜島を眺めていた

何艘も何艘も目の前を船が行き交い

やがて空が暗くなってきても


“ 俺は、この海で死ぬんだ、もういいんだ! ” 


と呪文のように頭の中でつぶやいていた。


何となく左側から人影を感じた

気がついたら僕の左側にボロボロの洋服を着た

今で言うホームレスのおじさんが黙って僕の真横に座った。

数秒後 おじさんが2本の缶コーヒーをポケットから取り出して

1本はカチっと蓋を開けおじさんが飲み始め

もう1本は僕の足元にそっと黙って視線も変えずに置いた。

僕は意味がわからなかった。

ありがとうも言えずその缶コーヒーを飲んだ。

あったかった

身もココロにも沁みた

ふと気がつくとおじさんはいなくなり

缶コーヒーの空き缶だけがそこにポツンとあった。

“ 死のう ”という気持ちはいつしか消えていた


振り返って街を眺めたら街の灯りが暖かく感じた。


それから後日何度もその防波堤付近に弁当や煙草を片手に

あのおじさんを探したが見当たらずじまいであった。

せめてと他のホームレスの人達にあのおじさんのかわりに

手に下げた品物を渡した。


あのおじさんは今でも僕は神様だったのだと信じて止まない。


十分過ぎるほどに人の悲しみや苦しみや虚しさを知った

あのおじさんの一瞬のやさしさが僕の命を救ってくれた。


そのお返しとして今 僅かながらチャリティーをしています。



ひとは一瞬のやさしさに触れ人生が変わることもある。


そう今でも強く信じています



もしかしたらあの冬の日の防波堤で僕は死んだのかも知れない。


あのおじさんのやさしさで僕は生まれ変わることができた。
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あの時の神様のご恩返しのためにも、これからもみんなの笑顔があふれるイベントつくり頑張ってください。
情熱家さんがどんな思いでイベントをはじめたのか、この日記を読んでみなさんきっと感じ取ってくれたと思います。
これから参加されるみんなが思いを同じにしてイベントに参加できることによってもっともっといいものが出来るんじゃないかと思ってます。
(tomomi)
2009/01/24 | URL |(trip@xjc7fkBo)
編集



管理人のみ閲覧できます このコメントは管理人のみ閲覧できます
()
2009/01/24 | |(trip@)
編集



ここまで、深いこと知りませんでした。話せなかったのかもしれませんね。子供だったので…
あなたのパワーはすごいです。凄すぎます。
()
2009/01/26 | URL |(trip@-)
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